日本に生まれて良かったこと
ここ数年、歌舞伎を度々観ています。
にわかの意見ではありますが、「歌舞伎」は日本の伝統芸能の中でも(敷居が高く見えるけれども案外)親しみ易く、まあ、チケットの価格は少々お高いとしても、エンターテイメントに富む、素晴らしい芸能だと思います。
劇場では、筋書(お値段は千円強)も販売していますが、買わなくても事前にネットで調べれば(あるいは台詞が聞き取れれば)、主人公や周りの人々が「どうしてこんなことになってしまっているのか」は、分かるようになっています。(便利な時代ですね)
型もほぼ(新作以外は)決まっていて、安心して観ていられます。
大向う(おおむこう)と呼ばれる方々の、間を上手く捉えた呼びかけを聞き、役者の見得に観客は拍手で応える。(ライブ!な感じ)
好きなお役者さんができれば、何度でも見たくなる、観客の心理をよく突いた見世物だと思います。だって、ひと月(約25日?)の間、同じ演目を毎日、演っているんですよ!(しかも土日休みなく!)
初日と(ひと月演じた最後の)千穐楽の、役者さんの芝居の「違い」を楽しむのも、お金と時間が許せば…ぜひ!
それで、もう一つ。
元々、日本の文学や文化が好きなんだけれど、更に最近、大相撲を見に行く機会があり、これも大変に興味深いものでした。
国技館は、 まず、会場として素晴らしい。(席による近さの違いはあれど、どこの席でもしっかりと見える作りで)土俵を中心として、只ならぬオーラ(?)を感じます。
また、場所中には随所に、相撲好きが喜ぶ展示があり(お相撲さんの等身大パネル=フォトスポット)、お土産の品揃えやお弁当の種類も充実しています。(しかも、どれもお値段程度には美味しい。日本食の美味しさを正しく外国人にアピールする狙いも?)
肝心の「取組」(試合?)は、土俵から少々遠くても、気合、気迫が充分に伝わってきますし、野球やサッカーなどの競技と違って、それぞれ数分で、勝ち負けが決まっていく。
気になる(応援したい)お相撲さんには遠慮なく「◯◯(関)ー!」と叫んでOK。(多分)
場所で味(相撲部屋)の変わる地下のちゃんこ(300円程度)を楽しんだり、関取の場所入り待ちをして声をかけたり…。
応援、飲食・撮影OK(溜まり席はNG)の、丸一日(8時から開館しています)、ゆるくも熱くも楽しめる、素敵な場所でした。
さらに、歌舞伎と相撲、どちらも共通して良いところは「当日券を売っている」ところだと思います。歌舞伎は一幕見で1000円前後、相撲は2200円。(2019/5現在)
いずれも数に限りがあるので、早くから行って「並ぶ」必要がありますが。(相撲の人気は高く、7:45の発売前、6時あたりから並ぶ人も…土日は更に厳しいらしいです。そんな状況にも関わらず、どちらも外国人の方が多く並んでいました。ネットなのか雑誌なのか、そういう情報が事前に流れているんですね。)
今の日本には、時間(と、お金)に余裕のある中高年の方々が多いのか、はたまた若者の関心が高いのか、それとも外国人観光客が多いのか、大きなコンサート・舞台などでは、既にチケットが売り切れで「当日、思い立って」見ることのできるものが少ないように感じます。(映画は別)
そんな中、それぞれ一定数の「当日券」を用意している歌舞伎と相撲は、偉いなあ、と思うのです。
「何時から並べば確実にゲットできるか」は、日によって変わるから(歌舞伎なら役者や演目、相撲なら組み合わせや勝敗などで)ドキドキですが、頑張って早くから並べば、当日券を買って、観られる。
それが、すごいなあ、と思います。
まあ、「当日券でも充分、客が入る」のと「そもそもの料金設定が高いので、その分は儲けている」というのはありそうですが…。
まだ、行かれたことのない方は是非一度、チャレンジされることをお勧めします!
みんなちがって、みんないい
今日。
幕張メッセで行われていた「ニコニコ超会議」のイベントに行ってきました。
多分、突き詰めて言えば、それぞれのクオリティーもそんなでもないし、売れるような要素も少ない。(それぞれも、全体的にも。)
でも、私はこのイベントが大好きです。
オタクの文化祭。
みんな、好き勝手に好きなことをして、好きな衣装を着て、楽しんでいる。そんな感じ。
それを責めたり、騒いだりする人もいなくて。
コスプレ(様々過ぎて一概に言えない)を見ていると、綺麗だったり、面白かったりするんだけど、撮影用の方以外にも、普通に場に溶け込んでいる人が多く、それは(異世界ゲームで言うなら)エルフとかノームとかが共存してる感じですよね。
自衛隊ブースでは(その存在はまた、法的にはいろいろ難しいんだけど)海上自衛隊の「南極の氷」に素直に感動して、隊員の方と「一万年前の空気って、ロマンがありますね」と話したり、航空自衛隊のVR(画像は荒いが、垂直に旋回したりして迫力のある)を見てティッシュと葉書を無料でもらったり。(←実は税金から?)
誇りを持って仕事をされているような方が多く、その点で感動することも多かったです。
お目当ての「超歌舞伎」は、例年以上に気合いの入った、中村獅童さんの演技に涙。
素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい!
歌舞伎は、この世の華です。(これはまた、別の機会に。)
もう一つお目当ての「超法要」は、24時間、眠るまで聞いていられるような、リズムとメロディー。
トランスですね。癒されます。
まあ、ここまでニコニコの宣伝のようになってしまいましたが…。
おそらく、楽しめない人も居ると思いますし、経営的にも、そんなに儲からないかもしれません。厳しい目で、批判の目で見ればいろいろあるかと思います。ツッコミどころも多いです。
でも、やはりこのイベントの存在は素晴らしいと思うのです。
それぞれの趣味を「華」咲かせ、多いに楽しむ。
寛容であること。
いろんな価値観を楽しむこと。
大げさに言えば、
「自分の存在を許されること。」
そんな場が、お祭りとして開かれるイベント。(普段は普通に暮らしているので、まさしく日本文化の「ハレとケ」ですね)
それを開催してくれる運営の方々に、感謝します。
関係者のみなさん、ありがとうございました!
続 へそまがり昔話
気になっていた 、Eテレのアニメで好評だった「へそまがり昔話」の原作(ロアルド・ダール著)を図書室で借りて読んでみました。
韻を踏んだ「散文詩」のような感じで、すぐに読み終えることができました。
昔話ってやはり、海外の物にしろ、日本の物にしろ、幼児期の子育て(というか、道徳観を育てる、みたいな)ことと関わっていますよね。
嘘をついてはいけない、ズルをしてはいけない…勧善懲悪的な。
それを下敷きにしつつ視点を変えて、「お話の持つ面白さ」や「言葉のリズムを楽しむ」、というような本でした。挿絵も丁度よく。
アニメ版は、その挿絵も参考にしているようなのですが、原作を読み終えてみると、やはり、アニメ、よくできてるなあ、と。
原作ではそれぞれ独立した昔話なのですが、登場人物を上手に組み合わせて、一つの大きなストーリーにしてしまっている脚本が、まず素晴らしい。
さらに、原作(や元の昔話)では、あまり語られない登場人物達の性格や心の動きを、キャラクターの表情で丁寧に表現しているところも。
原作のある作品の映像化では、なかなか原作を超えられないと思うのですが、この「へそまがり昔話」は、映像化によって、物語の面白さをより膨らませて伝えることに、成功していると思いました。
早く、再放送をしてほしいなあ。
へそまがり昔話(ロアルド・ダール氏)
自分が良いと思った(あるいは気になった)ものは、他の人も同じように思うのでは……と思って、Twitterで検索してしまうのが、最近の行動で、まあ、良いところもあり、弊害もあり……。
でも、いいな、と思ったものは、共有したい、というか、語り合いたいですよね。映画を見たら、どこかのお店に入って、連れと感想を語りたい、みたいな。
たまたま点けたEテレのアニメ「へそまがり昔話」。これは、Eテレのオリジナルではなく、イギリスで作られた、ロアルド・ダール氏(「チャーリーとチョコレート工場」が特に有名な作家ですね。これも面白い!)原作のアニメーションでした。
見終えて、話の面白さ、アニメのクオリティーの高さについ、Twitterを検索してしまいました。やはり、皆さん同じく、大好評。(そこで分かったのですが、何度目かの再放送でした。)
Amazonで原作の中古本を買おうか、それとも図書館で借りようか、と迷っている間に、気づけば中古本は値上がりしてました……視聴者おそるべし。
お話は、いろいろな昔話を新解釈でごちゃ混ぜにした(時々ブラックな)面白い話です。
アニメは「オオカミさん」イケメン!イケボ!(日本語吹き替え)……そして、ベビーシッターさんのほっぺ……可愛い!触りたい!
DVDも発売されているのですが、英語版のみで、日本語版は無いようです。なので、次回は必ず録画しよう!でも、今のペースでは、半年後かな……。(アカデミー賞2018?の短編アニメーション部門にノミネートされていたそうです。なるほど!)
とりあえず、本を借りて、読んでみます。
ピース サイン と アレン タウン
前回触れたように、整理整頓に明け暮れている毎日、その手順、(実は)孤独な作業でメンタルが落ち込んだり…等、試行錯誤については次に譲るとして、今回は片付けBGMについて。
片付けをしている間、テレビを点けると、内容によっては、つい見続けてしまう。好きな曲を選んで頑張ってプレイリストを作っても、いずれ、飽きてくる……。ラジオはいいですね。でも、そうそう長時間聞き続けられるわけでもない。
モチベーションが下がったとき、同じ曲でもかなり、リピートして聴けるのが、私にとっては米津玄師さんです。「Lemon」とか、や「ピースサイン」とか。
「何で、こんなに聞き続けられるのだろう」と思い、考えてみたところ。いや、歌っちゃえ!と思ってカラオケで歌ってみたところ(音程が分かるように精密採点で)。
難しい……。
音程。リズムも簡単ではない。
歌詞も何となくしか、わからない。
「さらば 掲げよピースサイン 転がってくストーリーを」
うーむ……。
でも、かっこいい。
多分、分からないのが、いいんですよね。
分からないと、なんか、もう一度聞きたくなる。
逆に。
ビリージョエル(さん?もはや、師?)も聞くのですが、これは安心感で、やはり長く聴き続けられるものです。
幾度となく聴いているのですが、よく言う「聞くたびに新たな発見が」あるわけではない。いつものビリー。
でも毎回、メロディーの素晴らしさに感嘆します。すごいなあ、
アルバムで言うなら「ナイロン カーテン」と、「ストーム フロント」は、どの方にも聴いていただきたいところ。
「ナイロン カーテン」は、全体的に、暗めの曲が多いと思うのですが、当初、聴いた感想を(バンドマンの)割と親しいと思っていた友達に「暗いよね」と言ったら、「暗いとか言うな!」と、マジで怒られたことが忘れられません。あと、そのテープは、その彼の友達がメタルテープ(分かる人いるかな?)に落としてくれたこと……。
「アレン タウン」は、名曲です。
聞かずに死ねるか、という一曲に挙げられます。
ああ、でも、それを言ったら、他にも名曲の数々が…。(レニングラードとか……。)
片付けについて思うこと
仕事を辞めてするべきことは、この20年弱で降り積もった物たちの整理をすることでもあるので、ここ数日、片付けを頑張っているところです。
知人のすすめで、こん◯り式の、お片付け方法を参考にさせていただきながら、なるべく捨てる方向で、整理(「整理」が「捨てる」、「整頓」は「物を然るべき場所に収める」という意味だそうで、これは何と、小学5年生の家庭科で学ぶことです)をしているのですが。
こん◯り式にしても、断◯離にしても「今を大事に」することを重視していますよね。
過去に囚われず、今の快適な暮らしを。
私が片付けている理由の1つは「もし自分の身に何かあっても、残された人が困らないように」でもあり、それでなくても、昔から言われているように、「死ぬときは、お墓まで持っていけないんだから」という考え方も、その通りです。
何れにせよ、そんなに物は要らない。なるべく身軽な方がいい。(何と、片付けをすると、ダイエットになったり、人生が好転するそうです!本当ですか?)
ホテルのようにシンプルな生活、憧れますね……。
とにかく、捨てる「スイッチ」を入れて、なるべく多く、捨てたい。
ただ一つ、困難な物が「本」です。
買ったけれど読んでいない本・雑誌ならともかく、もう、今後、読むことはない(だろう)本がたくさん……。
こん◯り式では「ときめくもの」は取っておいていいらしいので、捨てなくてもいいのです。「自分の理想の暮らし」に適っていれば。さて、どうでしょう?
電子書籍が、便利で安価な割に見合って流通しない理由に、読み返しづらい(あれ?関連したことがどこかに書いてなかったっけと、ページを遡るとか)という物理的なことの他に、紙の手触り、匂い……五感にうったえるものがあると信じている派です。
さらに、電子書籍は「書棚に並べられない」ということもありますよね。
自分が、この本に関心を持った(たとえ読んでいなくても……)という事実。
自分の頭の中を、こう、ばあっと見てみたい。に、近い感じですかね。それは後ろ向きな発想かもしれません。
過去に囚われず生きるのは、とても素晴らしい考えだと思う一方で、私の中に(多分)確かにある、藤村や漱石、古今和歌集やSF、村上春樹、伊坂幸太郎、鉱石、電車、占い、絵本等々。
目に見える、書棚はやはり大切です。
自分の一部を書棚で確認できるのは、幸せなことだと思います。(例えば、それがCDラックである人もいるでしょう。何かのコレクションである人も。)
基本、これまでの自分<これからの自分、でいいんですけど、ね。
というわけで、中々片付かないわけですが。(いざとなれば本は、ダンボールに詰めて宅配で取りにきてもらえば、片付く時代ですから……。)
まあ、本は置いといて。
それ以外の物の片付け。
自分1人で、立ち向かうしかない。誰も手伝ってくれない。
しかも、誰も褒めてくれない……。
仕事をしていたときには、当たり前で気付かなかった、互いに助け合ったり、褒め合ったりということ。とても大事だったんだなあ、と、実感しているところです。涙。
千里の道も、一歩から。
先達の言葉に支えられて、一つずつ捨てるしかありません。
とほほ。←平成が残り3週間なのに、昭和っぽい
春の花と言えば
今日のような荒れた天候の下でも、桜はどんどん散っていくわけです。寒いのに。はらはらと。残念。
春の花と言えば、可愛らしい「チューリップ」もあります。風に吹かれて、左右に揺れる様子も、見ていて微笑ましい。
でも、桜はやはり、微笑ましいのとは違いますね。何と言ったら良いのでしょう……。美しい。切ない。見事。うーん……うまく言い表せないですね。(とにかく、桜が好き過ぎて、毎年、写真フォルダが桜の画像だらけになってしまうことだけは確かです。)
この季節、必ず思い出すのが、
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
平安末期の僧侶であり歌人でもある、西行の有名な歌ですが、この「花」も桜ということです。今のようなソメイヨシノではないと思いますが、千年近く前の人の思いが、今でも三十一文字の歌を通して伝わるのって素晴らしい。(西行は、その思い通りの季節に亡くなられたそうです。すごいですね。)
改元に伴って、万葉集が売れているそうで、よかったなあ。改めて見ると、詠み人も、季節やシチュエーションも、様々な歌が集められていて面白いですね。パラパラと読むだけでも価値は充分にあります。
かく言う私も持っていなくて、慌てて万葉集を古本屋で買ったくちです。(だって、全訳注付きのは巻数が多かったから学生のふところには痛手で……。)