片付けについて思うこと
仕事を辞めてするべきことは、この20年弱で降り積もった物たちの整理をすることでもあるので、ここ数日、片付けを頑張っているところです。
知人のすすめで、こん◯り式の、お片付け方法を参考にさせていただきながら、なるべく捨てる方向で、整理(「整理」が「捨てる」、「整頓」は「物を然るべき場所に収める」という意味だそうで、これは何と、小学5年生の家庭科で学ぶことです)をしているのですが。
こん◯り式にしても、断◯離にしても「今を大事に」することを重視していますよね。
過去に囚われず、今の快適な暮らしを。
私が片付けている理由の1つは「もし自分の身に何かあっても、残された人が困らないように」でもあり、それでなくても、昔から言われているように、「死ぬときは、お墓まで持っていけないんだから」という考え方も、その通りです。
何れにせよ、そんなに物は要らない。なるべく身軽な方がいい。(何と、片付けをすると、ダイエットになったり、人生が好転するそうです!本当ですか?)
ホテルのようにシンプルな生活、憧れますね……。
とにかく、捨てる「スイッチ」を入れて、なるべく多く、捨てたい。
ただ一つ、困難な物が「本」です。
買ったけれど読んでいない本・雑誌ならともかく、もう、今後、読むことはない(だろう)本がたくさん……。
こん◯り式では「ときめくもの」は取っておいていいらしいので、捨てなくてもいいのです。「自分の理想の暮らし」に適っていれば。さて、どうでしょう?
電子書籍が、便利で安価な割に見合って流通しない理由に、読み返しづらい(あれ?関連したことがどこかに書いてなかったっけと、ページを遡るとか)という物理的なことの他に、紙の手触り、匂い……五感にうったえるものがあると信じている派です。
さらに、電子書籍は「書棚に並べられない」ということもありますよね。
自分が、この本に関心を持った(たとえ読んでいなくても……)という事実。
自分の頭の中を、こう、ばあっと見てみたい。に、近い感じですかね。それは後ろ向きな発想かもしれません。
過去に囚われず生きるのは、とても素晴らしい考えだと思う一方で、私の中に(多分)確かにある、藤村や漱石、古今和歌集やSF、村上春樹、伊坂幸太郎、鉱石、電車、占い、絵本等々。
目に見える、書棚はやはり大切です。
自分の一部を書棚で確認できるのは、幸せなことだと思います。(例えば、それがCDラックである人もいるでしょう。何かのコレクションである人も。)
基本、これまでの自分<これからの自分、でいいんですけど、ね。
というわけで、中々片付かないわけですが。(いざとなれば本は、ダンボールに詰めて宅配で取りにきてもらえば、片付く時代ですから……。)
まあ、本は置いといて。
それ以外の物の片付け。
自分1人で、立ち向かうしかない。誰も手伝ってくれない。
しかも、誰も褒めてくれない……。
仕事をしていたときには、当たり前で気付かなかった、互いに助け合ったり、褒め合ったりということ。とても大事だったんだなあ、と、実感しているところです。涙。
千里の道も、一歩から。
先達の言葉に支えられて、一つずつ捨てるしかありません。
とほほ。←平成が残り3週間なのに、昭和っぽい