10年後の4月の空

日頃のよしなしごと備忘録

ブログを書いてみて

ブログを書き始めることが目標だったのか、その先にある何かが目標なのか、分からないけれど、昨日、書いてみて思ったことがあります。


ブログを書くということを「表現すること」だと考えると、それはやはり、気力・体力を使うものだなあ、と。

読んでくれる人が(もしかして)いるかもしれない、と思うから。(自分だけが読む日記なら、ともかく。でも、そういう日記は、まず読み返さないでしょう。)


少し前まで、教育関係の仕事をしていたけれど、昔の教師は多かれ少なかれ「自己表現」をしていた気がします。授業や、それ以外の部分で。(義務教育に限定すれば中学校は特に。)

それは、生徒や児童にとっては、ある時は面白かったり、または困ったりもしていたんだろうけれど「世の中いろんな人がいるなあ」で、認められていた時代だったように思います。(しっかりと授業をするのは当たり前ですが。)


でも、この数年で、そのような「教師の個性」とその「表現」に厳しい目が向けられらようになってきました。皆が平等に、どのクラスも平等な教育を受けられるように、と。

学習内容(進み具合)は勿論のこと、「隣のクラスだけ、帰りの会で教師がギターを弾いているのはおかしい」的な……。(知ってる方でいらしたんですけどね。いろいろアバンギャルドな先生でした。)

だったら、ペッ◯ーにでも教えさせればいいじゃん、と思ったものです。

子供たちには自己表現の大切さを教えているのにね。


話が逸れてしまいましたが、とにかく、良かれ悪しかれ、表現する際には自分から何かを持ち出すわけで、それなりに体力が要るのでしょう。(批判を受けることも含めて。)

そう思うと、村上春樹氏など、マラソンをして体力を保持されていることに、なるほど、と思うのでした。(あれだけ長い物語を書かれるのだから、尚更ですね。)


ちなみに、以前テレビで「最も短い小説」というもの(確か、英語で「履かれなかった赤ちゃんの靴」を意味する文だったような。これが正確かは分かりません、すみません)が紹介されていたけれど、日本にも、俳句という、17文字の詩がありますよね。


どんなに短くても、言葉が連なって「文」になったら、そこに表現されるものはある。


ちなみに、私の好きな、最も短い一文は、

「咳をしても一人」(尾崎放哉)

です。


素晴らしいですよね。

頑張ろう。